志免炭鉱 鉱山 櫓

【単独潜入】 ブラックダイアモンド 新原採炭所

志免炭鉱鉱業所は採掘開始から閉山まで一度も民間営業を
しなかった国内唯一の炭鉱としても知られている。
現在残る遺構は、竪坑用の櫓と斜坑を残すのみでだだっ広い広場になっている。
道を挟み反対側にはボタ山(ズリ捨てと言われる土砂や低品位の鉱石を捨てる場所)が高々と残り、
緑に包まれ丘の様になっている。
櫓の高さは47・6メートルの鉄筋コンクリート製
直下には深さ415メートルの立坑があるが現在は塞がれている。

分かっている坑口数は凡そ9坑あったそうで、最近の発掘により、
一つの坑口が発見されたが、その坑口名は不明との事らしい。
初期の頃に掘られたものらしく、50mほど奥で崩落か、埋められていたという。
その坑口は発掘作業時に偶然発見され30cmほどの穴が
現れたという。しかし掘り進めてみると幅4m高さ5mの斜坑が
現れたと言う。遺跡発掘や宝探しのようだ。
ボランティアでもいい、実際その場で発掘作業に携わりたいと思った。

平成19年にこの竪坑櫓は登録有形文化財に登録され
平成21年10月に重要文化財に指定

歴史は明治22年に海軍艦艇の燃料確保として、海軍により開発され、
第一坑・第二坑が同時に開坑し、その後も相次ぎ坑口が作られた。
終戦後に海軍から日本国有鉄道へ移管され、その際に新原採炭所から志免鉱業所と名称が変更された。

志免炭鉱歴史

参考文献
海軍炭鉱五十年史 編纂 第四海軍燃料厰 昭和18年  
志免炭鉱九十年史 著者 田原 喜代太 昭和56年

全盛期のボタ山(ズリ捨場)と鉱山周辺
山の規模は徐々に広がって行く。
大きい赤枠はボタ山 小さい赤枠は竪坑櫓
 廃止から間もないボタ山(ズリ捨場)
 真黒い山が残る。
 現在の緑の森に包まれたボタ山(ズリ捨場)

 

志免炭坑の立坑について

石炭採掘にあたり工法は水平坑、斜坑、立坑がある。水平坑は山岳地帯で水準以上の石炭層の場合行われる。
明治・大正時代に初期の北海道において石狩炭田では水平坑によって採掘されている。斜坑は水準以上への採掘
の場合行われ、九州地方の筑豊炭田で行われている。斜坑からの総炭量は全国の出炭量の70%を占めている。
立坑による工法は、深い地層へ採掘し炭層が平坦または緩い傾斜の場合に炭層に沿って採掘する方法をとっている。
この立坑の開坑により地下まで最短距離となり通気、運搬、排水の改善につながっている。坑内の
空気調整(入気・排気)も改善され石炭運搬の向きや作業員の往復時間の短縮も可能にしている。


志免立坑櫓は、高さ47.6mのコンクリート建造物であり櫓の形式に相違が見られるが他の櫓に比べ最大である。
立坑櫓の形式には、巻上げ機と櫓が離れたシングルステーヘッドフレーム形式と志免立坑櫓のように統-された
ワインディング・タワー形式の櫓がある。ワインディング・タワー形式の利点は敷地面積の縮小が可能な点があげられる。
志免鉱業所付近は、埋め立て地のため基礎への経費が掛かるためタワー形式にしている。
国内におけるタワー形式の立坑櫓は、三井三池四山第-立坑、国鉄志免立坑、貝島大之浦中央立坑、中興福
島第-立坑であるが、志免立坑は土木技術導入の炭坑開発工事は最初であった。
地表面からの高さは47.6m、深度415mで巻上げ方式は塔櫓巻、ケーペ式ガイドシーブ付を採用している。

 


志免町資料より


志免町資料より

 


写真:日本輸送機 様

竪坑櫓前の立面図
櫓の高さは47.6m
 資料館にある模型
 深さは415mにもなる。
 当時の竪坑櫓の様子
 日本輸送機6t蓄電池車両が活躍

 


写真:日本輸送機 様


写真:日本輸送機 様

ボタ山(ズリ捨場)の頂上
不要の残土や低品位の石炭が積上げられた。
 

 


志免町資料館より


志免町資料館より

立坑や斜坑を合わせると600mの深さまである  櫓内の上部に鎮座していた巨大な巻揚機

 


写真:日本輸送機 様

   

 


左写真は坑内の換気用坑道
Y字で二手に分かれていたようだ。

上写真は保存の為に取外されたもの。
実は戦時中の航空機のプロペラを転用したと言う。

 

竪坑最深部415m地点の模型。
さらに斜坑にて560m、最深部まで
600mもある。

 

現在のボタ山の状態。竪坑櫓はこの場所よりすぐ裏手にある。


今回は観光旅行と言うことでこの地に来た。実の所、元彼女との最後の旅行で来ましたw
この時は彼女、車の中で寝てましたね。興味が全くないものでwと過去の話は置いておき。この場所はズリ捨て山より
撮影。この時は造成中でありひっきりなしにショベルカーが動いていた。はしごが必要なのは、削り壊された階段を見たことが
あり分かっていたが、ある場所から無理をすれば上に行ける事は分かっていた。しかし・・・・この工事。。。
「これはよじ登るのは諦めたほうが良い状況だ」日中で公園からも丸見えだし。

 

近くに寄ってみると、フェンスに囲まれていた。

左右を気にすると。。。。

もう気にするも何も

テーマパーク並み

賑やかさなのだ。
特にこんなコンクリートの塊
見に来る為に集まった
訳ではないのは確実であった。

 


実は左手はこんな風景になっている。

すぐ横の整備された公園はこの近所に住んでいるであろう
親子が休日を楽しんでいた。
「私もあのデカイ滑り台で遊んで来ようか」と思うほど賑やかで楽しそうである。

実の所は、「楽しそうに遊んでて良いから、登っている私の事は見て見ぬふりをしてほしい」と頼みこんでしまいたい。

ここで登ろうものならば、「バカが登っている」と即通報され
「キツイお灸を据えてやるがそんなバカは一度で良いから見てみたい」と警察は来るは
市役所の所員は「やっぱり壊すべきだったか?」と真っ赤な顔をして駆けつける状況になるだろう。
公園の親子は野次馬と化し、携帯電話で写メを撮る始末である。

夕刻の地元ニュースでは40秒弱 
「珍入ュース!迷惑珍入者!」
「日中11時頃に志免町にある立坑櫓跡に登る男を不法侵入で逮捕しました。」
「男は年齢30歳、旅行で東京から来ており、事情聴取では「写真を撮りたかった」などと話していると言うことで
他に「余罪」が無いか引き続き取調べを続けており・・・・・・・・」
と定刻どおりに都内へ帰れなくなってしまう。

そしてすぐ右裏手ではひっきりなしにパワーシャベルが唸りをあげて整地作業をしている。
とてもじゃないが潜入するにはある意味レベルが高すぎ、
登ろうものなら確実に発見される。「潜入」ではなく開き直って登るしかないw

そんな度胸も無く、そして迷惑はかけられまい。

「諦めよう・・・・」

 


右手の工事中に奥に見えるもの。何か地面から突出ている。マニアならすぐ分かるw
無謀な鉱山馬鹿と言われる私は「是非入ってみたい!」と思った。なんか言われたら
「ツクシを採ってたら迷い込んでしまいました」などと誤魔化そう。

 


「もし入れたら何時間探索しよう?」もしかしたら怒られ(確実に怒られるw)るか
「何時間待たせるの!」と彼女から怒られるかのどちらかになるだろう。

しかし入口がある側にはパワーショベルのケツが見え隠れする。。。。「ガンガン働いてけつかる!」

しかし魅力的過ぎる斜坑だ。直線的に地面に潜る角度と滑らかさ。。。彼女なんかそっちのけで浮気してしまいそうだ。

 

左手には埋まっていた斜坑が掘り起こされていた。

最近の発掘により、
一つの坑口が発見されたが、
その坑口名は不明との事らしい。
初期の頃に掘られたものらしく、50mほど奥で崩落か、
埋められていたという。
その坑口は発掘作業時に偶然発見され30cm
ほどの穴が 現れたという。しかし掘り進めてみると
幅4m高さ5mの斜坑が発見された。

この斜坑がそうである。

調査時の写真を見つけた。


50m程で意図的に埋められたか崩落していたと言う。

 

では早速先ほどの斜坑へ!

 

しかし。。。。

 

あまりに頑丈過ぎる。入る隙間も機能も付いていない。
二度と入らない形状だ。鍵も扉も付いていない。。。

普段は扉があるなら人が入れるもの、
開かないはずが無い。
しかし
こちらは様子が違う。完全に入る事を前提としていない
感じに見える。鉱毒が存在しない炭鉱、
年に何回と言う定期的な検査はなされないのだろう。
完全に密閉しないのは地底からのガスを逃がす
為なのだろうか。
炭塵なのか?過去に火災があったのか?
煤けている様に見える。

第8坑(斜坑)

諦めて回りを見てみる事に。

近くには土砂が固着した車輪が転がっていた。
その他にも送風の為のパイプなのか?
圧縮空気で動く機器の為に圧縮空気を送る
パイプが転がっていた。
これが運び出された物か?
地上に放置されていた物か?
地下にあったのなら数十年ぶりに日の光を
浴びたのかもしれない。

そう思うとロマンが広がる!

 

さて、暇潰しにメール(浮気相手w)か
寝てるかしている
彼女の元に返ろう。

現在は近代化産業遺産に指定されている。
実際は壊されるはずだった物がこの場所に
残り続ける事になる。
これも古い物を愛する者や歴史的に
残しておきたい気持ちのある人々の
おかげでもある。

完全に合法的にこの場所へ登る事ができた
ある遠い同志がいる。
ワンダーJAPAN誌11号をご覧ください。
貴重な資料が載っています。
この方は古き残さねばならない物を
守る運動をしています

 

<参考文献>
(1) 木元富夫: 石炭産業の歴史的背景」一志免廃鉱(福岡県) の産業考古学的考察一、
  九州産業大学「経営学論集」1999、第10巻第2号p1〜25
(2) 産業考古学シンポジウム講演資料集、地域社会と産業遺産(II)九州産業考古学会、2000
(3) 氏岡誠二: 志免礦業所第五第八坑実習報告」1947
(4) 田原喜代太: 志免炭鉱九十年史」p315〜328
(5) 長弘雄次: 九州産業考古学会シンポジウム」1999志免町― 志免炭鉱の歴史と立坑櫓―
(6)「筑豊近代化大年表(明治編)」近畿大学九州工学図書館地域資料室P58〜145)「石炭と
  炭鉱-(1900年の歴史を語る一」直方市石炭記念館
(7)「田川市石炭資料館」
(8) 畑岡寛: 志免炭坑に関する史的研究」2001、土木学会西部支部研究発表会講演概要集大2分冊、B-374〜B375
(9)志免町教育委員会
(10)志免町資料館
(11)日本輸送機

 

廃墟ページへ戻る

遺構調査機構へ戻る