足尾 本山坑 石灰 鉱山 廃鉱 坑道 地下

巨大鉱山坑道 

撮影日 2006年3月

この鉱山跡は1610年(慶長15年)に発見されて以来、
江戸時代から昭和48年までの400年近く続いた歴史のある鉱山。
産出鉱物は主に、黄銅鉱(キャルコパイライト)や黄鉄鉱(パイライト)
かつて日本一の銅産出量であった。
その製錬時に発生した煙害問題も有名な場所でもある。
近くには観光化された坑道も残り資料的な価値は大変満足あるものであった。
入坑料800円 出発から入坑、一部区間でバッテリーロコに乗る事ができる。
精錬所跡や選鉱所跡が今でも残り、線路跡等当時の面影も残る。
観光目的としても、歴史を感じさせる場所だった。採掘された銅は、東照宮や江戸城などの建造の際に使われ、
オランダや中国などへも輸出された。
銅山はその後一時衰退し、明治10年に入り生産技術が次々と近代化され、
大鉱床が発見された事により産銅量が急速に伸び発展の一途をたどり、
大正初期には「大鉱山都市」と呼ばれやがては名実ともに日本一の銅山として大いに栄えた。
時は流れ銅の生産も次第に減少し、昭和48年に閉山となる。
今でも町のあちこちで、むかしの銅山の繁栄ぶりを忍ぶ歴史を多く見ることができます。
この鉱山は、主に西側・南側・北側と3ヶ所から開発され、その他は数箇所の坑口がある。坑道の総延長は1200Kmになる。
今回は北側の探索となった。

坑口左手には山ノ神が祭ってある。
安全な探索ができるよう一礼し入坑。
(供え物は水晶を置いていく。)

 

この日はまだ冬の寒さが残る季節だった。

 

一直線に伸びる坑道。

どんな光景を見せてくれるのか。

 

鉱車の台座があった。

 

かなり昔の物か?馬で引くような道具も
見られた。残る遺構は新旧乱れる配置だった。

 

 

 

奥に見える光は坑口のもの。

コンクリートを攪拌させる機械が残る。

 

バッテリートロッコのバッテリー部分だ。

 

ナベトロが傾いている。戻そうにも
さびの固着でまったくビクともしない。

 

台座だけなら数多くの鉱車が残っている。

 

昭和五年六月下 と書いてある。
相当古いことがわかる。

 

 

 

しばらく進むと崩落した際の処置なのか?
鉄骨で組まれた通路が残る。
(導水の役割だろうか?)

 

徐々に低くなっていく。
圧迫感が激しい。。。。

 

三脚を後ろに立てて撮影。
しゃがまないと進めないほどの低さと幅。。。。。

 

狭い通路を抜けた先。

この辺りから空気の流れはなくなる。
その為に湿度と温度の上昇から
レンズが曇ってくる。

(ここから先は曇りにより解像感が薄れます)

 

こちらの柱には

大正十四、十一。上 と書かれている。
更に古い遺構だ。

 


ここからは複線だったのだろう。
右手写真は当時の写真であると言う。

 

坑内にバリケード。

ここから先はいつでも崩落する可能性がある。
点検する作業員でさえ安全上ここから先へ
進むことはない。

 

バリケードは二重になっている。

 

 

抜けた先には石垣が組まれている。
これは閉山後に崩落を予想して組まれたもの。
崩落した場合に石垣の間から坑内水を
逃がすためのもの。
これが無いと溜まり続けた坑内水の行き場が
なくなり、予想もしない場所から出水したり、
地上部の陥没を防ぐためにある。

 

天井からは金属を含む鉱水により
鍾乳石の様になっていた。
この様な場所の上部は溶け出した
金属の分の密度が減ることや
岩石の隙間が増えることにより、
スカスカになっていることが多く。
こういう場所から崩落する可能性が多い。

この周辺は坑道の歪みが多い。断層など
地殻変動による圧力がかかっている。

 

そして320m付近で崩落を確認した。
この崩落の向こう側は1m前後の水深で
水没している。
石垣の設置により隙間を縫うように
坑内水が流れ出している。
崩落場所からも茶色く色づいている場所から
流れ出していた。
この崩落は崩落の具合から人為的に
破壊されたようにも見受けられる。


崩落を確認し、坑口に戻る。
最後に一礼し、この場所を後にした。

 


 

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