鉱山 廃鉱 廃坑 廃鉱山 坑道 地下 大黒鉱区 秩父
坑道最深部 ダイコック
【合同オフ】 坑道最深部

今回は某所にある鉱山の最深部へ降りてみる事になった。
凡そ100mに迫る深い地底。そこは既に泥濘が激しく、更に下部の坑道もあると
言われているが既に完全に水没をしている。
この場所は地上から完全に隔離された場所でありメンテナンスの手も入っていない。
竪坑道がなければ帰る事もできなず、二度と人が立ち入る場所ではないだろう。
一切の電波も入らない無電波地域、何かあれば完全な行方不明となり
誓約書にサインを行い入坑をさせて頂いた。


入坑のシーン(動画youtube)

YARUO氏の日本廃景でも更新を確認(研修坑道3編)
No.60写真からNo.80の写真が本件の写真になります。

最深部に到着したが、あまりにも
泥が堆積しており撮影が面倒になる。

壁面から天井まで泥が付着している事から
この場所は完全に水没する事が伺える。
その水没期はいつ来るのか?
今この日に水没する事は勘弁だった。
とてもではないが、水が流れてきた場合
この30cmから50cmにも迫る泥を
逃げる速度で走る事は不可能に思われた。

コウモリさえ住む事がない
完全に生物活動限界を超えた隔離された場所、
この狭い坑道が地上から100m弱の場所に
あると感じると、生物が住む地球上とは
思えない錯覚さえ覚える。

既に最深部に降りてから40分位経っているが、
現在はまだ数十メートルしか進めていない。

泥が深く足が抜けない為に
一歩歩くのに5秒を要してしまう。

実際は諦めたくなる坑道だった。
しかし、皆の士気は高く先に進む為に
頑張っている。
皆に、「もう帰るか」と言われれば
素直に賛成している位だった。
今までの坑道探検し、ここまでの歩き難さは
初めてだった

 

どの位進んだろうか?200m位になるか?

天井付近の色が灰色なのはお気づきでしょう。
灰色になっている手前までは水没すると言う事です。
茶色の部分は水没すると言う事になる。

泥水の流れ緩やかである。これは出水のせいで
長年溜まった泥が少しづつ流れてくる為。
流れが早ければ泥は溜まっていなかっただろう。

 

一段高い場所にこの様な空間があった。

「お!リムストーンじゃん!」と思ったが
すぐに脳裏のよぎった過去の探検。

坑内津波を味わった、私、mog氏、YARUO氏
(今回は野暮用でドイテフ氏は来ていない)
の全員顔色が変わる。

本気で怖いと思った。


過去にここよりも泥の区間は少ないが同じ状況の坑内を歩いていた。
やはりそこも泥が酷い坑道だった。正面に大きなリムストーン発見した、
しかしその場所へ近づいた際に思わぬ事故は起こった。
自分たち手前にあったリムストーンがビルの爆破解体の様に沈みだした。
溶ける様な感じともとれる。そしてその奥が消滅、そして更にその奥が消滅
次々と消滅し、最後のリムストーンが決壊した。
決壊する最後の一つをを見ながら何が起こるか予想が付いた。
しかし何故か逃げようと足が動かない。その見慣れない光景に
釘つけになった。
溜まっていた泥水は1m位になるだろう。その水は一気に流れ出した。
「ザザザァ」との音と共に目の前を泥が流れていく。
もし木材があり、一緒に流れていたら足を取られ一緒に流されただろう。
ドイテフ氏はウェーダではなく、50m後ろに待機していたYARUO氏に
「逃げろYARUO!」と言ったが、YARUO氏に声が届いたか分からない。
リムストーンから奥は数メートルで閉塞していた為に、数トンの泥水が
流れた位で済んだ、YARUO氏も迫りくる泥水を後ろに見ながらどうにか
高台に避難し事無きを得た。。。。
ビフォーアフターではないが、その時の写真が残っている。



坑内津波の映像
上が坑内津波の前の写真。過去に水が溜まった事があるようだ。
泥の坑道は乾き干上がっていた。

そして下の画像はYARUO氏が居た後方辺りの
津波後の写真。

私と、mog氏と、ドイテフ氏は壁面に張り付き
流れる泥水を声をあげずに、「ただただ」、黙って見ている
だけだった。その結果、
YARUO氏はどの位の水が来るかわからなかったらしい。
「莫大な水が来たらどうしよう」と、とにかく足をあげ
逃げたらしい。
下流の方は水位が30冂上がっただけだが、
長靴のYARUO氏は浸水していただろう。

泥水なので流れ出た速度が遅く助かった。
もし、某所にある巨大なリムストーンが崩壊したら
数千トンの水に巻き込まれるだろう。
あの場所の泥は既に沈殿し、上澄みの水は泥を
含んでいない為に、相当な速さで流れ出るだろう。
参考:RimStone


坑内津波の映像

津波が起こり、小康状態になってから撮影。
数十秒たち未だに泥水が流れる状態だった。

これ以上状況は悪化しないだろうと思われた。
坑内津波の映像

リムストーンがあった場所。
流れ出る前に泥水が溜まっていた
部分がくっきりと
残っている。奥行きは6m弱なので
この被害で済んだのかもしれない。


その事件があってから私はビデオカメラが欲しくなった。
あの様な滅多に見る事の出来ない映像を、読者様にも是非見て頂きたい。
あまりにも急な為にバックから出して瞬間の写真を撮る事ができなく苦い
思いをしたのも事実だった。
 2011年7月 買っちゃいました。

このリムストーンもあの時と同じ色だった。
まだ緩い状態ではないだろうか。

あのときよりも水が溜まる空間が広い。
泥水の量は遥かに多いだろう。
この場所から見えない奥行きもあるかもしれない。

この場所を避ける様に通過した。


なぜだろうか?ちょうど坑道の中心に
巨大な鍾乳石が成長していた。
この直上に硫化金属を良質に含んだ
出水があるのだろう。

 

YARUO氏はこの辺りで巨大な水晶が
手に突き刺さったらしい。

泥に足を取られ壁面に手を付いた際に
手に痛みを感じたらしい。
泥が剥がれた場所からはデカイ水晶が
顔を覗かせたとのだった。
YARUO氏が言うには、
「白っぽい場所は殆ど水晶でしたよ」との事
だった。

(機動強襲群・
  群馬県鉱山探訪記:mog氏 撮影)

 

そして支道からは巨大な空間が遠くに見えた。
今までこんなに大きな空間は見た事がない。

泥を掻き分け巨大な空間がある場所を目指した。

そこには驚くべき光景が広がっていた。

(機動強襲群・
  群馬県鉱山探訪記:mog氏 撮影)


mog氏が撮影を試みた。
ISO6400の最大値まで上げて撮影し、
後に編集ソフトで照度をあげてみた。

巨大な地底湖が現れた。奥行きは50m程、
水深は分からないが相当深いのだろう。
真っ赤な色をしており落ちたら助からない。
この下に存在する下部レベルの
坑道からこの下に行けたのだろう。
ポンプが働かない今ではこの下部は
完全に見る事は永遠にできないだろう。

(機動強襲群・
  群馬県鉱山探訪記:mog氏 撮影)

 

こちらもmog氏が撮影。
未編集でISOを最高値にして撮影。
上の写真の右手の写真。

まるで大きなクレーターの様だった。

(機動強襲群・
群馬県鉱山探訪記:mog氏 撮影)

 

この赤い地底湖を半周取り囲むように
通路が残っている。
但しこれ以上進む事を危険と判断し
諦めた。

(機動強襲群・
  群馬県鉱山探訪記:mog氏 撮影)


進むべき道はまだまだあるのだが、
一部硫黄臭があり下部坑道の為に
酸欠を恐れ撤退する事にした。

ホッパーから滴る水で泥を取り除く。
但し金属製の物は洗えない。
持参していたクライミング用品の
スチール製の部品が次の日に
錆びてしまった。

 

この鉱山は某県の西端に位置し,鉱床は○○古生層中に胚胎する接触交代鉱床であり、主として石英閃緑岩
と石灰岩の接触部近くに賦存する。選鉱操業は湿式選鉱工場を主体として乾式磁選工場と関連操業を行なっていた。
湿式選鉱工場は○○○坑(鉄系),○○坑(亜鉛・硫化鉄系),○○坑(亜鉛・硫化鉄系)の3系統別に浮遊選鉱
と磁力選鉱をあわせて行なっていた総合的選鉱操業で,主要産物は○○○坑系統の銅・亜鉛・硫化鉄・鉄の各精鉱、
○○坑系統の銅・鉛・亜鉛・硫化鉄・鉄の各精鉱、○○坑系統の銅・鉛・亜鉛・磁硫鉄の各精鉱であった。

当鉱山の発見は慶長年間(約350年前)と伝えられ、昭和12年7月に○○鉱山が鉱区を買収し,昭和15年9月処理
能力4,000t/月の湿式選鉱工場を完成し鉛・亜鉛・硫化鉄精鉱の回収を始めた。昭和18年8月時局の要請に応じ
鉛・亜鉛精鉱を増産し硫化鉄精鉱の回収を中止した。昭和20年6月より昭和21年4月まで機械の整備を行ない、
昭和21年5月に操業を再開し銅・鉛・亜鉛精鉱を回収した。昭和21年10月硫化鉄精鉱の回収を再開する。
昭和24年5月ミネラルジッグおよびディングスロッシェ型磁選機を増設し含金銀精鉱,粗金,鉄精鉱を新たに回収し、
産出精鉱は7鉱種となった。昭和27年10月コニカルボールミルおよび付帯設備の増設によつて処理能力8,000t/月に
倍加した。昭和34年8月○○地区に乾式磁選工場(処理能力4,000t/月)を新設し鉄硫化精鉱の回収を行ない、
その尾鉱は湿式選鉱工場で再処理した。昭和35年6月破砕能力の増強とふるい別けの強化によって摩鉱給
鉱粒度を10mm以下にしたため処理能力は10,000t/月となつた。昭和36年8月浮選・脱水施設の増設によって処
理能力12,000t/月と累増した。同月より含砒硫化鉄精鉱の回収を行なっていたが昭和38年2月販売先の事情で
回収を中止した。昭和38年4月道○○○鉱床(鉱量1,500万t,品位Fe 48%,Cu 0.3%,S7.5%)が開発されたため
ハイドロコーンクラッシヤ,ロッドミルの増設を行ない、
処理能力は15,000t/月に増強した。昭和39年3月ワーマン浮選機を導入し○○鉱床系より磁硫鉄精鉱の回収
を始めた。昭和39年4月○○○、○○、○○の3系統別処理に切替え,○○○系はトリコンミル,浮選・磁選部門の
増強を行ない、処理能力は12,000t/月となり,○○鉱床、○○鉱床系も処理能力を増強し24,000t/月となった。
昭和40年4○○○系の1,2次破砕設備を新設し,トリコンミル,浮選・磁選部門の再増強によつて処理能力は
20,000t/月に増加し、○○鉱床、○○鉱床系を加え32,000t/月となった。昭和40年9月廃津処理にマルスポンプを採用
し新設した○○沢堆積場に送るようになった。

 

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