マインクラフト

 

幌内竪坑

炭鉱施設跡

 

昭和50年11月幌内炭鉱で発生 したガス爆発による坑内火災のため最深部に13名の遺体を残 したままほぼ全山水没の痛ましい事故があった。

昭和52年7月3日 全遺体収容も終り同年10月、日産1.000t体制で生産を再開した。

完全水没をし再開を果たした炭鉱と言うものは類をみない。

平成元年9月29日閉山

 

 

 

当時の災害状況

災害の発生した箇所は七片地並の骨格造成中の掘進箇所であり、主としてB54(掘削断面18.2m2)ア ーチであり、
11月27日、当日は上記図の如く@〜Dの5箇所掘進作業中であった。
当日0215頃,誘導無線を通じて@の七片操車坑道において、
「発破施行後ガスが出た」との連絡があり、直ちに各所に連絡し退避中に、
同日0215頃、ガス爆発と思われる災害が発生した。直ちに入坑者全員に退避命令を発令するとともに、
坑内状況を調査したが、 0545'頃排気立坑より発煙を認め、二次災害防止のため退避 した。

第一次注水に至るまでの経緯

同日0955頃から、再三に亘り、七片方面坑道調査を行ったが、熱気、煙、崩落の為に進入は不可能であり、ガス状況も最悪の状態であり、
再爆発の恐れから、直接消火は不可能と判断された。
このまま日時を経過すれば七片坑道の火災は浅部に延焼拡大必至と12考えられ、羅災者の救出も出来ないまま放棄に至る恐れがあった。
したがって、関係先家族の了解を得、3日後、11月30日1751より、第一次注水を行い七片坑道水平部を水没させた。

第二次注水に至るまでの経緯

第一次注水終了後の12月2日1530頃、再調査の為に入坑したが、五片方面(-860m)で火災を発見、直ちに消火作業に入ったが、
奥部にて爆発音が発生、濃煙の為に消火が困難。
その後、学識経験者、鉱山技術者を交えた検討の結果、六片までは注水による消火を行い、
五片に関しては直接消火の方法を取るとの結論に達し、12月03日23:30より、12月10日までに130.840/m3を六片
から、七片間に注水した。

 

第三次注水に至るまでの経緯

第二次注水中入気竪坑の水柱に変化があり、竪坑底付近で小爆発があったものと水底され、またトキワ斜坑側からの調査でも崩落の為に
進入できず、更に排気のガス状況も悪化したため、直接消火は危険であり、かつ長期に亘るものと判断し、四片(-790m)まで風水が決定。
第三次注水は12月12日2255から01月0815まで実施され、1.876.3501/m3に及んだ。

第四次注水に至るまでの経緯

第三次注水終了後に坑内状況が安定したので、1月12日よりトキワ斜坑からの復旧作業に着手。
深部には、残熱が高く、ガス状況も悪化し、救護隊同行でなければ復旧作業も出来なくなった。
入気竪坑の水柱に急変があり、小爆発があったと推定され残火もあったと判断された。
以上のことから、二片まで、第四次注水を実施することとなり、2月27日1900より3月27日1420まで注水を行った。

 

 

第一次注水から第四次注水で408万/m3、垂直で-1000mから、-635mの間365mが水没した。
これは完全に採掘坑道を失ったということだった。

 

坑内に残された13遺体の収容日時 全て1977年

6月1日 一人

6月11日 一人

6月16日 一人

6月19日 一人

6月21日 一人

6月24日 一人

6月28日 一人

6月30日 五人

7月3日 一人

あまりにも悲惨な事故であった。

やむを得ないかっただろうが、水が流れてきたときの恐怖と絶望感。どれだけ苦しく辛かっただろうか。。。。

 

 

幌内竪坑櫓跡 1966年完成

 

 

坑内は2度目の水没であるが、もう二度と水が抜かれることはないだろう。
現在は塞がれた竪坑の隙間より坑内水が湧き出ているが、
メタンを含んでる事から、この場での火気は厳禁という。

 

 

 

 

 

 

分厚いコンクリートで蓋がされている。坑内排水が出ている場所では泡となってメタンが排出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

硫黄を含んでるのだろうか?温泉の様な匂いも感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


悲惨な事故、二度と繰り返してはならない。許せるものなのか?時が解決してくれるものなのか?

過去に縛られることなく、今を生きて欲しい。そんな声が聞こえてきそうな場所であった。

 

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