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地下駅 

撮影日 2005年7月

 

1933年に都内の寺の近くに設けられたホームは対向式2面2線の駅跡。
太平洋戦争末期の1945年、運輸省疎開のためトンネルが接収を受けたことに伴い
営業休止した時期がある。下り線のみ三線軌条に変更した上で、墓地近くの斜面に設けられた連絡線から
国鉄の優等客車を搬入し、駅舎を含めて事務所・指令室として使用していたが、換気が非常に悪いことから、
あまり利用されていなかったという。
戦後、1946年から1947年にかけて一時営業を再開したが、戦後間もなくの鉄道車両の性能・整備状況及び
保線状況では急勾配上にある当駅からの発着が困難であり、運行上の危険が生じたことによる保安上の観点と、
利用客が見込めないため、廃止になったという。

1933年(昭和8年)12月10日 - 開設。
1945年(昭和20年)6月10日 - 営業休止。
1946年(昭和21年)11月1日 - 営業再開。
1947年(昭和22年)8月21日 - 休止。
1953年(昭和28年)2月23日 - 廃止。

 
左写真 営業当時の写真       右写真 現在の様子 面影が残る。


昔の路線図にもこの駅名が載っている。


国旗掲揚台跡 昭和16年12月8日 真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦の日だ。。。

駅の裏手側。
道路が盛り上がっているのが
お分かりになりますか?

 

写真中心に向かい路面が盛り上がっている。

ちょうどこの下には通路が残っています。
駅舎から階段を下りると、
すぐ左側に上り側ホームへの階段が残り、
地下通路を進み左手には下り側ホームへの
階段があります。

この下には下り側ホームへ進む地下
通路が残っているのです。

 


地下へ降りる階段が見える。

階段を降りるとすぐに分岐し、
左の階段を降りると上り側ホームへ。
正面の半地下通路を進むと下り側ホームへの
階段が左手に現れます。

 



 

地下通路を抜け、
左手に階段を下りると
下り側ホーム跡にたどり着いた。

正面上側には防犯上の監視カメラが
見える。

 

階段をおりきると
下り側ホーム階段に残されている
出口の案内が見える。右読みの為「口出」と
なっている。

 

ホームがあった場所は
解体され乗場はなくなっている。

 

 


 

上り側ホームはホーム跡に降りる手前に
シャッターで封鎖されていた。

 

 

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