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【週末探検隊合同オフ】 緑海の火薬庫 グランドゼロは今も残るのか?

偶然にもこの場所は18歳の時、5歳年上の付き合っていた彼女に
教えてもらい、二人で良く来ていた海だった。もう10年も前の事だ。。。。
小さな海の家が数件ある程度、駐車場もなく堤防沿いに停める穴場の海岸だ。
海の家、バイト女性の首回りがキスマークだらけでひと夏の思い出を作った
つもりだろう。恐らく武大だw。そんなもん付けられたら恥ずかしくて歩けりゃしない。。。。
堤防沿いに停めても800円を徴収しに来る町会の人、口が開けば
ここには「グッチ雄三が来たとか」どうでもいい事を良くしゃべるオヤジ、
色々な思い出がある。

最近では大きな駐車場が出来たり、海も汚れてきたという。
人が多く来れば、この町の経済は潤うが、その分ゴミが多くなり
海は汚れていく。残念な気持ちでもある再訪だった。


シーズン期の現在  10年前、夏の時期でもこんなに人はいなかった。

 

しかし偶然は重なる。ここは週末探検隊のM,Fujisawa氏の幼少の
地元だと言う。幼少期にはこの海で泳ぎ、周辺で探検ゴッコをしていた。
その時に発見した遺構と言う事だった。

そして今から行く遺構は過去に爆発事故を起こしている。
カーリット火薬の填薬工室が爆発し、従業員14名が亡くなられ
負傷者は重傷5名、軽傷11名にもなった、行方不明者は2名いる。
工場は全壊、火薬填薬室内でトリニトロトルエン爆薬が爆発、
木造工室2棟(約198屐砲販篥犁ー偲敷地内4棟が誘爆し
全施設(約516屐砲爆風により損壊した。
昭和32年8月10日の暑い夏の事だった。数キロ先からきのこ雲さえ
見えたと言う。
近くのお寺には「殉職者の碑」が築かれている。

M,fujisawa氏のとっておきの場所で、知る人はあまり居ない場所だったが、
最近は良く知られる場所になってしまったらしい。
来訪したのは三年前、保護の観点から暫く公開を控えていたが、
これだけ知れ渡ってしまっているとは。。。。

今回は
地名を出さない事で紹介しようと思う。



 

休憩ポイントの山の中。
結構獣道を歩いてきた。

 

辿りついた廃墟群。
経年劣化によるものか?建物は大きく壊れている。
この近辺で爆発は無かったのだろう。
衝撃波を喰らえばこんなものでは済まない。

 

 

 

 

最近は週末探検隊ともあまり探検に行ってない。

子育てやら、仕事が忙しいようだ。。。。

 

 

 

 

裏手の山からの土砂崩れだろうか?

 

 

 

殆ど全部の建物は酷く崩壊していた。

やがては無くなってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

これは。。。。トンネルか?

防空壕か?

 

覗いてみると、貫通しているようだ。。。。

何かのトンネルだろうか?

 

トンネルを抜け出た先は。。。。

振り返ると。

 

何か建物があった。。。。

 

 

建物は屋根の損壊が激しい。

扉の上には何か文字が書いてある。

 

「地上式一級

大八火薬庫

最大貯蔵量 爆薬 弐拾頓」と書いてある。
一級火薬庫の最大貯蔵量は火薬40t、爆薬20tと聞く。

 

 

 

 

火薬庫を脇に見て、更に穴を発見。

 

 

軌道?!! これは楽しくなってきた。

l坑内には軌道が引かれている。
トロッコの様な物が行き来していたのだろうか?

 

 

 

同じ方向に分岐が続いている。

 

分岐の外は広場になっている。
過去にはここにも建物が建っていたのだろう。

その先にも坑口が見える。

 

 

そして同じように外への分岐。

 

 

こちらには建物が残っている。

右手に移るのは井戸ではなく水瓶。
こんな物で到底消す事はできないが、初期消火用で置いてある、、、
法律上置いてある様な物だろう。消せそうな初期消火ならば、
入口付近に置いた方が合理的な感じもする。
バケツで汲んで。運んで水をかけるなんて事をしていたら、
火を消す前に自分自身が消し飛んでしまう。

 

 

 

天井付近に穴が開いた場所もある。

意図的に光を取り入れる工夫なのだろうか?

 

 

 

 

元々工場だけだったのだろうか?

過去には軍用として既に作られていたのではないだろうか?

穴の掘り方(海から見えにくい秘匿性な形状)が目立つ。

 

 

 

 

 

 

トンネルの出口を出ると次の尾根に当たるが、またも
坑口がある。

 

坑道内はまるでシェルターを思い起こさせる作りになっている。

これは楽しくてしょうがない!

 

 

 

壁の厚みから非常に頑丈なことがうかがえる。

 

坑道へ入坑し右側には様々な形状の部屋が存在する。

火薬庫跡なのだが、過去軍事要塞として作られたとしか考えられない。。。

 

 

写真だけを見ると狭いと思われるでしょうが、

実際はかなり広い空間になってます。

 

 

 

 

 

こちらもおぞましい光景の火薬庫

二重扉になっており、扉の厚みさえあれば
シェルターと勘違いをしてしまうほどの
構造物だ。奥行きも坑口から100m弱、
W54などSADMとして運用される
低出力核程度ならば、初期段階(衝撃波・熱線・初期放射線)としては
十分防護できるレベルなのではないか?

 

 

 

内部もコンクリートで覆われ、水滴対策の屋根と
鉄骨で作られている。頑丈さ故に当時のまま
残っていた。

 

 

坑道は更に奥へ続いている。

 

 

 

入坑口の光が見える。巨大火薬庫と言うものが
どれだけ凄いのか?を実感できた。

 

 

 

こちらの火薬庫は損壊(腐食による内張りの剥がれ)が
激しい状態だった。

 

 

 

 

 

 

そして坑道は貫通する事無く閉鎖されていた。
この裏手は海のはずだが、どの様になっているのか?不明だった。

 

坑道を戻り、別の区域にやってきた。

ちいさな火薬庫が見える。

 

 

 

 

速爆・燃焼性の高い火薬類が置いてあったようだ。

当時であれば、雷酸水銀等だろう。
学生の頃に研究で作った事があるが、硝酸と水銀溶液に
エチルアルコールを入れた時の赤い煙が出て爆発的な反応に
マジ目の前で爆発するのでは?と昔を恐怖を思い出す。

 

 

この区画を見て歩こう。

 

 

地上式一級 第五火薬庫 最大貯蔵量 爆薬 20t と書いてあった。

先ほどの第八火薬庫と同じ規模だ。

 

 

外壁は残るが、屋根は抜け落ちてしまっていた。

 

 

 

 

 

巨大な爆発があったと言うこの緑に包まれた火薬庫、

8m四方のクレーターが出来るほどだったと言うが、

その痕跡は確認できなかった。永い年月のうち、

消失してしまったのだろう。

不幸にも亡くなった犠牲者の事、生前の姿は風化させたくない。

 

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